レザーのジャケットはおって♪
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キーボードをやっている理由(8)のつづき
11月にキーボードをプレゼントでもらい、鍵盤にまともに触れた事が無い僕は12月の年末の冬休みには、更に香子(きょうこ)ちゃんに演奏を教えてもらう予定でしたが、それは叶わない夢になってしまいました。
色々なありえない出来事が起きてしまい、その結果香子ちゃんとは音信不通になって・・・ただ残っているのはもらったキーボードだけ。
様々なショックと記憶に残って引きずってしまう程の驚きの衝撃もあって、さすがに最初は独りでキーボードを練習する気にはなれませんでした。
ですけど無情なくらい時間だけが経過する中で、中3の夏頃には部活も終わって時間も余裕が出来、世の中のバンドブームの影響、少年から青年へと変貌しつつある自分の中でのメタモルフォーゼの発動。
たくさんの動機となり得るタイミングのリンクが、ふつふつと生まれてくる音楽への興味と情熱を掻き立てて、気がつくと目の前に残されたキーボードに混沌とした思いをぶつける様になりました。
最初は右手の人差し指1本からの演奏
みっともないけど上達のために鍵盤の白鍵一つ一つにドレミを全部油性マジックで記入して、当時好きだったBOOWYやXやTM NETWORKやB'zの歌メロをただひたすら練習しました。
段々と使う指を増やして、中指、薬指、親指、小指と・・・
どうやって練習すればいいのかどうやったら弾ける様になるのかもまったく分からず、尋ねて教えてくれる誰かも居ないのでただ手探りだけでの独学練習。
楽譜なんて無いし買うお金も持たないから、何回も何回も繰り返して聴くラジカセからの音を拾っては、それに近い音を鍵盤の中で探してそれを連動して指で叩いてメロディにしていました。
右手が少しは使える様になってからは左手の練習ですが、近くの本屋に頻繁に通って音楽関連の雑誌を立ち読みして勉強。
そこで「コード」というものを初めて目の当たりにして、持っていたノートに「C=ドミソ」「D=レファ#ラ」「E=ミソ#シ」「F=ファラド」「G=ソシレ」「A=ラド#ミ」「B=シレ#ファ#」とだけ店員に見つからない様に書き留めて、家に持ち帰ってから練習しました。
2つ3つの指を同時に使う和音はまだ出来ないですから、左手の人差し指だけで「C=ド」「D=レ」と言った具合にコードのベースラインの単音だけを右手の歌メロに合わせて、全音符で鍵盤を叩いて行く練習を続けました。
このような練習を高校受験勉強もそっちのけで毎日真夜中になるまで一日5時間はやってました。
本当に最初はしんどくてなかなか上達もせず、孤独な練習の毎日の途中で何度も挫折しそうになりました。
ですけれど音楽へ対する情熱と、そしてキーボードを触る度に浮かび思い出す香子ちゃんの事・・・・
いつの日にかまた会った時に演奏を披露して
「すごい!上手になったね!」
と、ただこの一言を言われたいがために腱鞘炎の痛みにも耐えながら、ただひたすらと練習しました。
そして、もうあれから20年近く経ちます・・・。
現在は腱鞘炎も慢性化して慣れてしまい「音楽」「楽器」は生活の一部というより自分の人生そのものになっています。
高校時代は部活も入らずバンドに明け暮れて、そして色々な人との出会いで更なる音楽の世界を体験し、20歳になる頃には本格的に仕事としてやって行こうと東京へも出向いて修行と勉強をしました。
ただ音楽に対する想いと音楽で収入を得て生活するというギャップに耐えられずに、早い段階で見切りをつけました。
音楽を仕事として強制的にやるのではなくて、音楽をするために他の仕事をして音楽は自由気ままにやっていく。
音楽は自分の生き方として慢心する事が最良と、懸命に考えて続けて行く決心をしました。
走り続けた今までの人生の途中で何度も、香子ちゃんに会って「今の自分を見せたい」と考えました。
本当になんとかして探し出して会いに行こうとも思いましたけど、あの事件の当事者の香子ちゃんにしてみれば、僕自身も辛い過去を思い出させてしまう存在でしょうし、幾分かの時間を経て新しい生活を生きている中で不要な過去を断ち切るべきならば、ノコノコと僕が姿を見せる事は良い事ではないから・・・そのまま今に至ってます。
今はいい時代になりました。
こんな自分でも作曲して演奏した楽曲の音源CDを簡単に作れますし、インターネットを使って楽曲の配信も出来ます。
今も精力的に曲を作り続けては音源にしてmyspace等を通じて外に出しています。
もしかすると香子ちゃんが知らず知らずに僕の曲を聴いてくれてたりしてるかも・・・
香子ちゃん・・・
あれから一生懸命練習して勉強して、それなりに音楽がやれる様になりました。
音楽を通じてたくさんの人と知り合えて、たくさんの素晴らしい経験をする事が出来ました。
あの時、14歳の誕生日のプレゼントでキーボードをもらえなかったら、音楽には縁が無いまた違った人生だったと思います。
本当にありがとう・・・
いつの日か・・・約束したようにピアノを教えてください。
キーボードをやっている理由(最初)
11月にキーボードをプレゼントでもらい、鍵盤にまともに触れた事が無い僕は12月の年末の冬休みには、更に香子(きょうこ)ちゃんに演奏を教えてもらう予定でしたが、それは叶わない夢になってしまいました。
色々なありえない出来事が起きてしまい、その結果香子ちゃんとは音信不通になって・・・ただ残っているのはもらったキーボードだけ。
様々なショックと記憶に残って引きずってしまう程の驚きの衝撃もあって、さすがに最初は独りでキーボードを練習する気にはなれませんでした。
ですけど無情なくらい時間だけが経過する中で、中3の夏頃には部活も終わって時間も余裕が出来、世の中のバンドブームの影響、少年から青年へと変貌しつつある自分の中でのメタモルフォーゼの発動。
たくさんの動機となり得るタイミングのリンクが、ふつふつと生まれてくる音楽への興味と情熱を掻き立てて、気がつくと目の前に残されたキーボードに混沌とした思いをぶつける様になりました。
最初は右手の人差し指1本からの演奏
みっともないけど上達のために鍵盤の白鍵一つ一つにドレミを全部油性マジックで記入して、当時好きだったBOOWYやXやTM NETWORKやB'zの歌メロをただひたすら練習しました。
段々と使う指を増やして、中指、薬指、親指、小指と・・・
どうやって練習すればいいのかどうやったら弾ける様になるのかもまったく分からず、尋ねて教えてくれる誰かも居ないのでただ手探りだけでの独学練習。
楽譜なんて無いし買うお金も持たないから、何回も何回も繰り返して聴くラジカセからの音を拾っては、それに近い音を鍵盤の中で探してそれを連動して指で叩いてメロディにしていました。
右手が少しは使える様になってからは左手の練習ですが、近くの本屋に頻繁に通って音楽関連の雑誌を立ち読みして勉強。
そこで「コード」というものを初めて目の当たりにして、持っていたノートに「C=ドミソ」「D=レファ#ラ」「E=ミソ#シ」「F=ファラド」「G=ソシレ」「A=ラド#ミ」「B=シレ#ファ#」とだけ店員に見つからない様に書き留めて、家に持ち帰ってから練習しました。
2つ3つの指を同時に使う和音はまだ出来ないですから、左手の人差し指だけで「C=ド」「D=レ」と言った具合にコードのベースラインの単音だけを右手の歌メロに合わせて、全音符で鍵盤を叩いて行く練習を続けました。
このような練習を高校受験勉強もそっちのけで毎日真夜中になるまで一日5時間はやってました。
本当に最初はしんどくてなかなか上達もせず、孤独な練習の毎日の途中で何度も挫折しそうになりました。
ですけれど音楽へ対する情熱と、そしてキーボードを触る度に浮かび思い出す香子ちゃんの事・・・・
いつの日にかまた会った時に演奏を披露して
「すごい!上手になったね!」
と、ただこの一言を言われたいがために腱鞘炎の痛みにも耐えながら、ただひたすらと練習しました。
そして、もうあれから20年近く経ちます・・・。
現在は腱鞘炎も慢性化して慣れてしまい「音楽」「楽器」は生活の一部というより自分の人生そのものになっています。
高校時代は部活も入らずバンドに明け暮れて、そして色々な人との出会いで更なる音楽の世界を体験し、20歳になる頃には本格的に仕事としてやって行こうと東京へも出向いて修行と勉強をしました。
ただ音楽に対する想いと音楽で収入を得て生活するというギャップに耐えられずに、早い段階で見切りをつけました。
音楽を仕事として強制的にやるのではなくて、音楽をするために他の仕事をして音楽は自由気ままにやっていく。
音楽は自分の生き方として慢心する事が最良と、懸命に考えて続けて行く決心をしました。
走り続けた今までの人生の途中で何度も、香子ちゃんに会って「今の自分を見せたい」と考えました。
本当になんとかして探し出して会いに行こうとも思いましたけど、あの事件の当事者の香子ちゃんにしてみれば、僕自身も辛い過去を思い出させてしまう存在でしょうし、幾分かの時間を経て新しい生活を生きている中で不要な過去を断ち切るべきならば、ノコノコと僕が姿を見せる事は良い事ではないから・・・そのまま今に至ってます。
今はいい時代になりました。
こんな自分でも作曲して演奏した楽曲の音源CDを簡単に作れますし、インターネットを使って楽曲の配信も出来ます。
今も精力的に曲を作り続けては音源にしてmyspace等を通じて外に出しています。
もしかすると香子ちゃんが知らず知らずに僕の曲を聴いてくれてたりしてるかも・・・
香子ちゃん・・・
あれから一生懸命練習して勉強して、それなりに音楽がやれる様になりました。
音楽を通じてたくさんの人と知り合えて、たくさんの素晴らしい経験をする事が出来ました。
あの時、14歳の誕生日のプレゼントでキーボードをもらえなかったら、音楽には縁が無いまた違った人生だったと思います。
本当にありがとう・・・
いつの日か・・・約束したようにピアノを教えてください。
キーボードをやっている理由(最初)
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