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レザーのジャケットはおって♪
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キーボードをやっている理由(8)のつづき090710_160152.JPG


11月にキーボードをプレゼントでもらい、鍵盤にまともに触れた事が無い僕は12月の年末の冬休みには、更に香子(きょうこ)ちゃんに演奏を教えてもらう予定でしたが、それは叶わない夢になってしまいました。
色々なありえない出来事が起きてしまい、その結果香子ちゃんとは音信不通になって・・・ただ残っているのはもらったキーボードだけ。
様々なショックと記憶に残って引きずってしまう程の驚きの衝撃もあって、さすがに最初は独りでキーボードを練習する気にはなれませんでした。

ですけど無情なくらい時間だけが経過する中で、中3の夏頃には部活も終わって時間も余裕が出来、世の中のバンドブームの影響、少年から青年へと変貌しつつある自分の中でのメタモルフォーゼの発動。
たくさんの動機となり得るタイミングのリンクが、ふつふつと生まれてくる音楽への興味と情熱を掻き立てて、気がつくと目の前に残されたキーボードに混沌とした思いをぶつける様になりました。


最初は右手の人差し指1本からの演奏
みっともないけど上達のために鍵盤の白鍵一つ一つにドレミを全部油性マジックで記入して、当時好きだったBOOWYやXやTM NETWORKやB'zの歌メロをただひたすら練習しました。
段々と使う指を増やして、中指、薬指、親指、小指と・・・
どうやって練習すればいいのかどうやったら弾ける様になるのかもまったく分からず、尋ねて教えてくれる誰かも居ないのでただ手探りだけでの独学練習。
楽譜なんて無いし買うお金も持たないから、何回も何回も繰り返して聴くラジカセからの音を拾っては、それに近い音を鍵盤の中で探してそれを連動して指で叩いてメロディにしていました。

右手が少しは使える様になってからは左手の練習ですが、近くの本屋に頻繁に通って音楽関連の雑誌を立ち読みして勉強。
そこで「コード」というものを初めて目の当たりにして、持っていたノートに「C=ドミソ」「D=レファ#ラ」「E=ミソ#シ」「F=ファラド」「G=ソシレ」「A=ラド#ミ」「B=シレ#ファ#」とだけ店員に見つからない様に書き留めて、家に持ち帰ってから練習しました。
2つ3つの指を同時に使う和音はまだ出来ないですから、左手の人差し指だけで「C=ド」「D=レ」と言った具合にコードのベースラインの単音だけを右手の歌メロに合わせて、全音符で鍵盤を叩いて行く練習を続けました。

このような練習を高校受験勉強もそっちのけで毎日真夜中になるまで一日5時間はやってました。
本当に最初はしんどくてなかなか上達もせず、孤独な練習の毎日の途中で何度も挫折しそうになりました。
ですけれど音楽へ対する情熱と、そしてキーボードを触る度に浮かび思い出す香子ちゃんの事・・・・
いつの日にかまた会った時に演奏を披露して
「すごい!上手になったね!」
と、ただこの一言を言われたいがために腱鞘炎の痛みにも耐えながら、ただひたすらと練習しました。


そして、もうあれから20年近く経ちます・・・。

現在は腱鞘炎も慢性化して慣れてしまい「音楽」「楽器」は生活の一部というより自分の人生そのものになっています。
高校時代は部活も入らずバンドに明け暮れて、そして色々な人との出会いで更なる音楽の世界を体験し、20歳になる頃には本格的に仕事としてやって行こうと東京へも出向いて修行と勉強をしました。
ただ音楽に対する想いと音楽で収入を得て生活するというギャップに耐えられずに、早い段階で見切りをつけました。
音楽を仕事として強制的にやるのではなくて、音楽をするために他の仕事をして音楽は自由気ままにやっていく。
音楽は自分の生き方として慢心する事が最良と、懸命に考えて続けて行く決心をしました。

走り続けた今までの人生の途中で何度も、香子ちゃんに会って「今の自分を見せたい」と考えました。
本当になんとかして探し出して会いに行こうとも思いましたけど、あの事件の当事者の香子ちゃんにしてみれば、僕自身も辛い過去を思い出させてしまう存在でしょうし、幾分かの時間を経て新しい生活を生きている中で不要な過去を断ち切るべきならば、ノコノコと僕が姿を見せる事は良い事ではないから・・・そのまま今に至ってます。


今はいい時代になりました。
こんな自分でも作曲して演奏した楽曲の音源CDを簡単に作れますし、インターネットを使って楽曲の配信も出来ます。
今も精力的に曲を作り続けては音源にしてmyspace等を通じて外に出しています。
もしかすると香子ちゃんが知らず知らずに僕の曲を聴いてくれてたりしてるかも・・・


香子ちゃん・・・

あれから一生懸命練習して勉強して、それなりに音楽がやれる様になりました。
音楽を通じてたくさんの人と知り合えて、たくさんの素晴らしい経験をする事が出来ました。
あの時、14歳の誕生日のプレゼントでキーボードをもらえなかったら、音楽には縁が無いまた違った人生だったと思います。

本当にありがとう・・・

いつの日か・・・約束したようにピアノを教えてください。



キーボードをやっている理由(最初)





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キーボードをやっている理由(7)のつづき


香子(きょうこ)ちゃんのお父さんが何者かに殺されて亡くなったと聞いてからは、香子ちゃんの事がとても気になって心配でした。
本当はすぐにでも電話して話がしたかったのですが、このような状況でかける言葉も難しいですし、僕の両親もしばらく時間をおいてから連絡した方がいいと言っていたので、グッとこらえてただ早く犯人が捕まる事を考えました。


それから約1週間後・・・新聞の一面にもテレビのトップニュースでも大々的に「犯人逮捕」と流れました。
かなり大きく全国的に報道されたのには訳があります。
犯人はなんと・・・香子ちゃんのお母さんだったのです。
香子ちゃんのお父さんを殺害したのは、香子ちゃんのお母さんでした。

テレビニュースの中で、香子ちゃんのお父さんのお葬式の時に報道カメラが撮影していた、香子ちゃんのお母さんの映像が大きく取り上げられていました。
そこには悲しみで泣いているお母さんの姿・・・迫真の演技です。
あまりにも考えられない事柄に、僕はショックという驚きより困惑して現実の事とは思えずに夢でも見ている様な感じでした。
面識もある香子ちゃんのお母さん・・・とても物静かで真面目そうな人だったのに、まさか人を刺し殺すとは想像もつきません。
それくらいに信じがたいし、きっと何かの間違いと思い続けていました。

お父さんをお母さんに殺された。
お母さんがお父さんを殺した。

このありえない現実にさらされた香子ちゃん。
香子ちゃんの事を思うと本当に胸が痛み頭が混乱しました。
お父さんを殺されて亡くしたということだけでも、ショックでしょうが更に犯人がお母さんとは・・・生きる気力も無くしてしまう程の事でしょうし、もう心配とかいう次元ではなくなってしまいました。


それから時が経ち、色々と詳細がわかりました。

殺人の動機は、1人娘である香子ちゃんの親権を巡って裁判まで経た別居後も、お父さんは執拗に香子ちゃんに近づこうと家まで押し掛けて来たり、嫌がらせや脅迫じみた事までしてきていたので、それに対しての犯行という事でした。
香子ちゃんを守るためのことですし情状酌量の余地は当然あったでしょうが、計画殺人だったということや隠ぺい工作などの点を重く取られてけっこう長い刑期の判決だったと聞きました。

香子ちゃんはどうなったのでしょうか?
事件があってから連絡は取ってないし取れなくもなり、噂では高校を中退して一旦親戚の所に引き取られ、それからすぐに今度は海外のオーストラリアに留学したと聞きました。


結局、香子ちゃんと最後に会ったのはプレゼントでキーボードをもらった中2の11月です・・・


次回、キーボードをやっている理由(9)につづく・・・








キーボードをやっている理由(6)のつづき


香子(きょうこ)ちゃんにプレゼントでキーボードをもらってからは、とにかく学校が終わって部活も終わってからは毎晩弾き続けました。
もちろん習った事も無いしまったく弾けないので、指一本で「カエルの歌」を弾いたり、小学校と中学校の音楽の教科書を引っ張りだして、簡単な曲を自分なりに練習していました。

けれどの独学でやるのもなかなか大変で、少々頑張ってみても相変わらず人差し指一本しか動かすことは出来ません。
やはり最初の基礎とかは誰かに教えてもらわないと、いきなり壁にぶつかって上達する気もしませんでした。

そんな中、キーボードをくれた香子ちゃんは時を見て

「どう?弾ける様になれそう?最初は難しいだろうし私が今度教えに行くからね」

教えるのも嬉しそうにして電話をくれました。
自分としてもすぐにでも教えてもらいたかったので早速お願いし、お互いに自分は部活で香子ちゃんはアルバイトが忙しいので、12月末の冬休みに入ってから香子ちゃんが家まで教えに来てくれる約束をしました。

それから香子ちゃんにレッスンを受けるのを楽しみにしながら、冬休みを待ちつつもキーボードの練習は欠かさずにあくせく毎日やっていました。


そして12月の半ば頃のある日、放課後の部活が終わって家に帰ると、母親が駆け寄って来て何か緊急事態という表情で・・・

「つかさ!大変なことがあったよ!」

「えっ何・・・?」

「香子ちゃんのお父さんが亡くなったんだって・・・しかも殺されて・・・」

「はぁっ!?」

突然の事で事態が理解出来ませんでした。
香子ちゃんのお父さんが「死んでしまった」という事だけでなく「殺された」までも。
中学生の自分にはあまりにも衝撃的なフレーズです。

どうやら今は娘である香子ちゃんと別々に暮らしているお父さんが、昼中に自宅近くを歩いている所を路上で何者かに後ろから刃物で刺されて殺されたという事です。
母親も直接聞いたのではなくて、新聞やテレビのニュースで知ったようで、事件が発生した時から2日経ってからの発表なので、お通夜やお葬式にも参列はしていませんでした。

何より香子ちゃんの事が心配でした。
いくらお父さんに暴力を受けて、今は別々に暮らしているとはいえ親子には間違いないですし、香子ちゃんの事を思うといてもたってもいられないです。
ただ、状況が状況なのでとりあえずまだこちらから電話したりは控えて、どうしていいのかも分からず、とにかく香子ちゃんにも危害が無い事だけを祈りました。


次回、キーボードをやっている理由(8)につづく・・・


キーボードをやっている理由(5)のつづき


香子(きょうこ)ちゃんに会ったのは中学2年生の11月でした。
小学校6年生の時に会ったのが最後でしたので、約2年ぶりの再会です。
当時の僕は部活の練習が月曜日しか休みが無かったので、平日の月曜日に学校が終わってそのまま僕の家まで来てくれるという事でした。

その日は少しドキドキしながら放課後の家までの帰り道で、いつものように歩いて帰宅すると家の前に1台の軽自動車が止まっていました。
なんとなくこれかなぁと思っていると、案の定「ガチャ」と扉が開いて制服姿の香子ちゃんが出てきて

「つかさくん!・・・久しぶりだねぇ」

香子ちゃんは満面の笑みで嬉しそうに手を振りながら声をかけて来ましたけど、僕は年頃の照れとカッコつけ両方があって、少しぶっきらぼうなフリの応対でした。

「こんにちは・・・いつも香子がお世話になっています」

香子ちゃんのお母さんも車から降りて挨拶してきました。
初めて見るお母さんでしたが、聞いていたピアノの先生というイメージはなくて少し厳しそうな感じです。
一通り挨拶を済ますとお母さんは近くの所に用事があるようで、香子ちゃんを置いて車を発進させました。
香子ちゃんには僕の家に上がってもらったのですが、なんだか大きくて重そうな長方形の包装された箱を車から下ろして持って来ました。

「その大きな箱は何?」

「もう少し後に教えるね、もう少し待って・・」

香子ちゃんはなんだかじらしているのを楽しそうにしていました。
僕は少々もどかしかったですけど、まあ大人の感じでカッコつけて「ふぅ〜ん」とたいして興味が無いフリをしていました。


それからはお互いの近況報告をしました。
僕の事は相変わらずサッカーばかりしている事、学校の勉強や生活の事、最近ハマっている音楽のことなど。
香子ちゃんは高校生になって熊本の繁華街のファーストフード店でアルバイトをしているようで、バイト先の年上の人達とカラオケBOXに行ったり車で遠出したりと、話を聞いているとやっぱり自分とは違う大人な感じでした。

「所でつかさくんは彼女は出来たの?」

痛い所を突いてきました。

「ちょっと前まで付き合ってた人いたけど、最近は忙しいし今はいらないかな・・・」

「そうなんだぁ・・・じゃぁキスとかもしたことあるんだ?」

「・・・まあ、一応・・・」

「へぇ〜・・・そうなんだ」

もちろんキスなどはしたことありませんでした。
ですけど当然ながら背伸びして強がっての嘘で、今思えば可愛いくらいです。

「バンドにも興味出て来たんでしょ?何か楽器は始めるの?」

「楽器・・・したいけどギターとか高いしね・・・高校生になってバイトとかしないと買えないよ」

「そうよねぇ・・・つかさくんはギターをやりたいの?」

「う〜ん・・・ギターがいいけど、ギターはする人が多そうだから他のでもいいかな・・・」

「そっかぁ・・・じゃキーボードは?」

「キーボード? キーボードはいるバンドがあんまりいないでしょ」

「でもユニコーンとかTM NETWORKとかはいるし、それにキーボードだったら弾き語りとか出来るから色々とバンド以外でも使えるよ」

「キーボードかぁ・・・」

香子ちゃんはキーボードを勧めてきました。

「それにキーボードだったら私が教えてあげれるし・・・実はね・・・つかさくん確か今月14歳の誕生日でしょ?プレゼントにキーボード持って来たんだよ!」

「ええ〜!?本当に?」

香子ちゃんが持って来ていた大きな箱はキーボードの包み箱で、アルバイトして貯めたお金で僕のために買ってくれたのです。
さすがに中高生にしては高額なプレゼントなのですごく恐縮して驚きましたが、楽器が持てるという喜びでとても嬉しかったです。

「ホントにありがとう香子ちゃん!でも高かったんじゃないの?」

「心配しなくていいよ!私はバイトしてるし・・・それにつかさくんには昔から楽器をして欲しかったから・・本当はピアノをして欲しいんだけど、さすがにそれは高いからとりあえずキーボードで」

「マジで嬉しいよ!でも弾けるようになるかなぁ?」

「大丈夫!これからはちょくちょくここに遊びにきて私がちゃんと教えてあげるから!」

内心は「ギターだったらなぁ」とちょっとだけ思いましたけど、でも思ったよりもかなり早く楽器を持てる事が出来ましたし、心から香子ちゃんに感謝していました。

それから香子ちゃんはうちで晩ご飯を食べ、その後に香子ちゃんのお母さんが迎えに来ました。
そして、また近いうちに会ってキーボードのレッスンをしてくれるという約束をし香子ちゃんは帰って行きました。

その後はあまりの嬉しさに寝ないで夜中まで、弾けないのに人差し指だけで色んな音を出してみてキーボードをいじっていました。


次回、キーボードをやっている理由(7)につづく・・・







キーボードをやっている理由(4)のつづき


香子(きょうこ)ちゃんはお母さんの家に引っ越してしまい、僕自身も中学校へ入学と同時に引っ越しをしました。
環境もガラッと変わって新しい生活・・・
思ったよりもすんなりと見知らぬ人達の中へ入り込め、部活もサッカーを選択しての充実した毎日。

そんな中、香子ちゃんからは定期的に手紙が届いていました。

香子ちゃんも新しい住居と高校に入学しての新しい生活・・・
手紙を読む限りでは今までの大変だった日々が嘘の様に、とても平穏で楽しい毎日が送れているようです。
僕もなんとか手紙の返事を書いていましたけど、香子ちゃんは月に2、3回のペースで書いて送ってくるので、正直ちょっと面倒くさいなぁと思う程でもありました。


それから僕が中学2年生になった頃、世の中は空前のバンドブームが起きていました。
エックスやユニコーン、ブルーハーツ、ジュンスカ・・・その他にもテレビ番組「イカ天」から登場して来たたくさんのバンドが、思春期真っただ中の僕らにはとても刺激的で衝撃的で。
今まで部活動という根性論を叩き込まれる毎日で、くたくたになるまで走りまわっている事が馬鹿らしくなるような感じにも思える程でした。
まだサッカー部所属でしたし当然サッカーも続けてはいましたが、「音楽」「バンド」「楽器」というものに完全にハマりかけていく時期でした。

サッカーをやりながらも、テレビやラジオ・・・そして部活後の夜には日課の様にCDレンタルショップに足を運び、お金はもってないので、ただCDジャケットを眺めて喜んでチラシだけをもらって帰ったりで満足していました。
もちろん「楽器をしてみたい」「楽器が欲しい」という欲求も芽生えてましたけど、当然ながら買えるお金も持たないですし、親が買い与えるわけでもありません。
「きっといつか・・・」と心に秘めながらただひたすらと、ラジオで流れる曲をラジカセでカセットテープに録音し、それを擦り切れる程までに繰り返し聴いていました。


相変わらず文通状態の香子ちゃんにも手紙の内容でこの音楽への目覚めも伝えたら、昔から僕にピアノを勧めていただけあって香子ちゃんはとても喜んでくれました。

自分としてはギターを始めたかったんですけど・・・



そんなある日、香子ちゃんから「久しぶりに会おう」と伝えられ・・・

小学6年生の時以来の再会で、最後に会った時から身長15cm伸びた姿を見せる事になりました。


次回、キーボードをやっている理由(6)につづく・・・

プロフィール
HN:
Tsukasa
性別:
男性
職業:
会社経営
趣味:
楽曲制作
自己紹介:
福岡、熊本を中心に音楽活動してます♪
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