レザーのジャケットはおって♪
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旅路での恋(11)のつづき
さゆりからのお別れの手紙を読んでからは、しばらくどうしていたのかはっきりとは記憶がありません。
覚えているのはとえあえず走ってケアンズ空港まで行った事、もう夜も遅く空港は閉鎖されているのに辺りを歩いて、いるはずのないさゆりを朝まで探し続けていた事。
それから3日間は2人でよく行っていたエスプラネードの散歩道のベンチにずっと座って、ただボーっとしていました。
食事もベンチに座ってリンゴを食べるくらいで、朝から夜中まで抜け殻の状態でただ座っているだけです。
そしてもうお金も尽きて来て、居る理由が無くなったケアンズからシドニーへ帰りました。
本当はケアンズからダーウィン、エアーズロック、アデレード、メルボルン、キャンベラそれからシドニーとオーストラリア大陸の旅路と決めていたのですが、ケアンズからシドニーまで来た道をそのまま引き返して帰ったのです。
シドニーに帰って来た9月からビザが切れるまで2月までの約半年間、ただひたすら働いて過ごしました。
朝は6時に起きて都心部のテイクアウトのお店で夕方まで働き、夕方からは郊外の日本食料理店で夜の11時まで働いて、休みは12月25日と1月1日だけでした。
そんな働いてばかりで一日を過ごし、ほとんど遊びもせずにせっせとひたすらお金を貯めて、ビザが切れる直前の1月末にもう一度1人でケアンズに行きました。
前回と同じ様に、ゴールドコースト、ブリスベンに寄り、さゆりと出会ったタウンズビルのユースホテルにも立ち寄り、そして再びケアンズに到着・・・。
それから以前と同じYHAのユースホテルに宿を取り、さゆりと一緒に通ったスキューバダイビングの学校に通ってもう一度授業と実技練習を受け・・・そしてとうとうグレートバリアリーフの海へ行く事が出来ました。
グレーとバリアリーフでは海のど真ん中の船上で3日間過ごし、毎日3本のダイビング。
世界最大の珊瑚地帯は言葉や文章では表せない程素晴らしい所でした。
そこへ行くのがさゆりの夢。
さゆりは手紙でグレートバリアリーフに「いつか誰かと行ってください」と書いてましたが・・・
海中で潜って泳いでいる時は、ずっとさゆりと一緒にいる想いでした。
それからビザが切れると同時に日本へ帰って来て、10年後の今・・・・・
さゆりとの思い出は記憶以外では、ケガした時から持っているピンク色の水玉模様のハンカチとまだ残っている左腕の傷跡だけ。
一緒に過ごしていた時に写真を撮ったりもしたのですが、実はケアンズからシドニーに戻る時に盗難にあってしまって、カメラもさゆりからの手紙もバッグごと盗まれてしまったのです。
本当はさゆりが日本に帰ってから自分もすぐに日本に帰って、さゆりの出身地の横浜に向かって探し出す事も考えましたが・・・・さゆりはたくさんの事と自分の運命を背負って考えて、何も告げずに1人で帰る事を選択した訳ですから、さゆりの想いを尊重して自分はオーストラリアに残りました。
あれ以来オーストラリアにも行っていません。
いつの日にか自分が一人前と成り得た時に・・・さゆりと過ごした場所へもう一度行こうと思っています。
(完)
さゆりからのお別れの手紙を読んでからは、しばらくどうしていたのかはっきりとは記憶がありません。
覚えているのはとえあえず走ってケアンズ空港まで行った事、もう夜も遅く空港は閉鎖されているのに辺りを歩いて、いるはずのないさゆりを朝まで探し続けていた事。
それから3日間は2人でよく行っていたエスプラネードの散歩道のベンチにずっと座って、ただボーっとしていました。
食事もベンチに座ってリンゴを食べるくらいで、朝から夜中まで抜け殻の状態でただ座っているだけです。
そしてもうお金も尽きて来て、居る理由が無くなったケアンズからシドニーへ帰りました。
本当はケアンズからダーウィン、エアーズロック、アデレード、メルボルン、キャンベラそれからシドニーとオーストラリア大陸の旅路と決めていたのですが、ケアンズからシドニーまで来た道をそのまま引き返して帰ったのです。
シドニーに帰って来た9月からビザが切れるまで2月までの約半年間、ただひたすら働いて過ごしました。
朝は6時に起きて都心部のテイクアウトのお店で夕方まで働き、夕方からは郊外の日本食料理店で夜の11時まで働いて、休みは12月25日と1月1日だけでした。
そんな働いてばかりで一日を過ごし、ほとんど遊びもせずにせっせとひたすらお金を貯めて、ビザが切れる直前の1月末にもう一度1人でケアンズに行きました。
前回と同じ様に、ゴールドコースト、ブリスベンに寄り、さゆりと出会ったタウンズビルのユースホテルにも立ち寄り、そして再びケアンズに到着・・・。
それから以前と同じYHAのユースホテルに宿を取り、さゆりと一緒に通ったスキューバダイビングの学校に通ってもう一度授業と実技練習を受け・・・そしてとうとうグレートバリアリーフの海へ行く事が出来ました。
グレーとバリアリーフでは海のど真ん中の船上で3日間過ごし、毎日3本のダイビング。
世界最大の珊瑚地帯は言葉や文章では表せない程素晴らしい所でした。
そこへ行くのがさゆりの夢。
さゆりは手紙でグレートバリアリーフに「いつか誰かと行ってください」と書いてましたが・・・
海中で潜って泳いでいる時は、ずっとさゆりと一緒にいる想いでした。
それからビザが切れると同時に日本へ帰って来て、10年後の今・・・・・
さゆりとの思い出は記憶以外では、ケガした時から持っているピンク色の水玉模様のハンカチとまだ残っている左腕の傷跡だけ。
一緒に過ごしていた時に写真を撮ったりもしたのですが、実はケアンズからシドニーに戻る時に盗難にあってしまって、カメラもさゆりからの手紙もバッグごと盗まれてしまったのです。
本当はさゆりが日本に帰ってから自分もすぐに日本に帰って、さゆりの出身地の横浜に向かって探し出す事も考えましたが・・・・さゆりはたくさんの事と自分の運命を背負って考えて、何も告げずに1人で帰る事を選択した訳ですから、さゆりの想いを尊重して自分はオーストラリアに残りました。
あれ以来オーストラリアにも行っていません。
いつの日にか自分が一人前と成り得た時に・・・さゆりと過ごした場所へもう一度行こうと思っています。
(完)
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